先日、ある新入社員を対象にした式典の司会をしたときに、
記念講演の講師(元局アナ)がこんなことを話されました。
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社会人になると責任が伴います。
プロは出来てあたりまえです。
間違いが許されないことがあります。
先日、ある披露宴の司会をしました。
今は新郎新婦のプロフィールを司会者が紹介することが
ほとんどです。
当日披露宴は何事もなく無事おひらきになり、ご両家にも
お客様にも喜んでもらえたと、ホッとしていたんです。
しかし、翌日ホテルから電話があり、
「新婦がかなりご立腹されています。すぐ来てください」
とのこと。
どうやら新婦の生年月日を間違って話したようなんです。
原稿には確かに、○年○月29日と書いていましたが、
読むときに、気づかない無意識のうちに、27日と
言ってしまったらしいのです。
うんぬんと続く・・・・
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その方とホテルの担当者とご自宅へお詫びの品を持参し
とにかく誠意をこめてあやまり、やっと許していただけた
とのことです。
社会人としての自覚と責任についてが主旨ですが、
この話を聞きながら思ったのは、
(講師の主旨とはズレます)
●そのくらいで文句を言うような人にはなりたくないな。
新婦にとっては計り知れないほど大切な事かもしれませんが
司会者という役割を棚に上げて素の自分で言うと、私にとっては、
“そのくらい”程度のこと。私なら、名前を間違えてよばれようとも、
忌み言葉を言われようともおかまいなしなんだけどね。
とはいえ、司会者という立場にたつとそうは言ってられません。
やってしまったぁ~と平謝りです。
●プロなんだから出来てあたりまえ?そうかもしれませんが
私なら、“上手くいくにこしたことはない”としたい。
以前の私は“出来てあたりまえ。間違いはゆるされない”
自分にも周りの人に対してもそう思っていました。
でもね、よく考えれば完璧なんてありえないもの。
自分に対して厳しいと、他人にも厳しくなるものです。
ストレス高くなるよね。うつ病の元になりそう。
(出来なくていいと言ってるわけじゃないですよ)
おきてしまったことで自分を責め続けるよりも・・・
どうしたらいいかな。
●この位の間違いは気にしてませんよ。って言われる
コミュニケーションがとれていればいいか。
打ち合わせでどのくらいコミュニケーションがとれているでしょう。
ラポールが築けていたら
「いいんですよ~。一所懸命やってくれたじゃないですか。
間違いは誰にだってあることで、これもひとつの思い出です。」
なんてことになったかもしれない。
間違いはおこる可能性はあります。
ならば自分にできることは何か?
そんな事を考えたひとときでした。