我が父は76歳のじいちゃんである。
2005年8月某日、じいちゃんは盛岡で行われた
NHKのど自慢大会の予選に出場した。
なんてったて、予選にでることさえ難しい、
競争率のたかい番組である。
じいちゃんは、いつもお茶の間審査員。
というか、お茶の間出場者で、いつもテレビの音が
聞こえなくなるほど一緒に歌うのだ。
予選に向けての、歌の練習は程ほどなんだけど、
歌いだしに言う、自分の番号と曲名の練習に力を入れていた。
じいちゃん「23番、憧れのハワイ航路!!」
母ます子「23番なんてない。20人までだじゃ。ダメだなこりゃ」
つっこみ役は、母ます子の仕事。というか、
ボケがいればつっこみ役が生まれるものなのでしょう。
そしてまた練習がはじまる。
じいちゃん「23番!憧れのハワイ航路!!」
あぁ・・・また母ます子につっこまれる。
どうも23番が好きなようで、何かを察しているのかも。
更に、アナウンサーからの質問にどう答えるか、
じいちゃんは練習を重ねていた。
詳しくは「じいちゃん奮闘記 のど自慢編その1」を見てね。
予選当日。
じいちゃんは自信満々である。
母ます子が用意したマドロス衣装を身につけて登場。
ちなみに赤のTシャツは、あたしが20歳頃に着ていた物で、
捨てたはずだったのに、もったいない世代の母ます子が
取っておいたのであろう。
母ます子をはじめ、兄夫婦と、姪のるかちゃん、甥のまー君
うちの旦那が静かに応援する中、みごとに歌いきったじいちゃん。
そして、アナウンサーのインタビューに答える時がきた。
そう、これまでの練習では、金婚式をむかえた感想。
母ます子との仲良しの秘訣。
なぜか、日本とアメリカの平和について。
そんな自問自答を繰り返していたじいちゃんだ。
アナ「ハワイに行ったことありますか?」
じいちゃん「はっ、・・・ありません・・・・」
終了
この時点で、がっくり肩を落とす、じいちゃん。
案の定、残念ながら、じいちゃんは本番には行けなかった。
実はあたし、仕事で応援にいけなかったのです。
携帯の留守電には、母ます子のため息まじりの切ない声で
「じい・・・ダメだった・・・」と、深刻な声。
かなり落ち込んでいるかと思いきや、家についたら
うちの旦那と一杯やって、まあいつも通り。
ホッとして、じゃあ、記念に写真とるからと
衣装をもう一度着させてポーズをとらせた。
ここまでは良かった。
あたし「いい色だね、このマフラー。冬ものなんだねぇ」
母ます子「冬ものだって、わかるか?!」
じいちゃん「やっぱり・・・・このマフラーが・・・」
あっ、あたし地雷踏んじゃったみたいね。
落ち込む、じいちゃんと母ます子。
でもね、落ちたのは、マフラーのせいじゃないと思うよ。
なにはともあれ、仲良しです。